春のやわらかな陽ざしが心地よい日。
庭先の木々は芽吹き、花々はそれぞれの彩りで季節を謳っています。
少し風が肌寒く感じられることもありますが、それすらもまた、春らしいなと感じる今日この頃です。
そんなある日、七七日(しちしちにち)の法要に参列する機会がありました。しっとりと落ち着いた空気の中で手を合わせ、大切な人とのお別れを静かに受けとめる時間。その後、お茶とお菓子をいただくために通されたお部屋で、ふと目にとまった一幅の掛け軸が、思いがけず私の心を打ちました。
叔父と並んで見ながら、「なんて書いてあるんだろうね」「一番上は“明るい”って字に見えるね」などと話していたところ、ご住職がそっと教えてくださったのです。
明珠在掌(めいじゅ たなごころにあり)
――明珠とは、本当に価値ある宝。
それはもうすでに、あなたの掌(てのひら)に在るのですよ、と。
“大切なもの”は、外ではなく、自分の中に
私たちは日々、「もっと良い何か」を求めて外に目を向けがちです。
SNSで誰かの暮らしぶりを見て羨んだり、「これが正解」と言われるような価値観に振り回されたり……。
でも、自分の手のひらをじっと見つめることは、案外少ないものです。
自分がどんな人生を歩んできたか。
どんな思いで今を生きているのか。
何を大切にしたいのか――。
「明珠在掌」という言葉に触れて、私は思わず、自分の掌を見つめました。
ああ、宝は、もうここにあったんだ。
大切なものは、自分の中にちゃんとあるんだ。
そう気づいた瞬間、胸の奥がじんわりとあたたかくなりました。
縁ディングノートは、心の中の“宝”を見つける旅
私は、生命保険募集人として、多くの方の人生に関わらせていただいています。
その中で「縁ディングノート」という存在に出会いました。
エンディングノートと似ているようで、少し違う。
“縁”ディングノートは、人とのつながりや想いを大切にしながら、自分のこれまでと、これからを綴っていくノートです。
書いているうちに、「そういえば、あのとき母が言ってくれた言葉が今も支えになっている」
「一緒におにぎりを食べたあの景色、忘れられないな」
そんなふうに、記憶の奥にしまわれていた“宝”がぽつり、ぽつりと浮かんでくるのです。
縁ディングノートは、まさに“明珠在掌”を感じる旅。
外ではなく、自分の心の中にある、かけがえのないものを再発見する時間でもあります。
自分の気持ちに素直になるということ
かつての私もそうでしたが、「自分の気持ちを素直に表現する」ことが、なんだか気恥ずかしく感じられる時期ってあります。
誰かの期待に応えようとするうちに、自分が本当に望んでいることが見えなくなっていたり。
「こんなこと言ったらわがままだと思われるかな」と思って、胸の内を飲み込んでしまったり。
でも、「自分が欲しいものを、率直に欲する」ということは、決してわがままではないのだと今は思います。
自分を知り、自分と向き合い、自分を認めてあげる――それはとても勇気のいる、けれど尊い行為です。
縁ディングノートは、そんな“自分へのまなざし”を育むきっかけにもなるのではないでしょうか。
母の姿から受け取ったもの
最近、母のことを思い出すことが増えました。
家族のために尽くしながらも、自分らしさを失わず、静かに人生を生ききった母。
その背中から、たくさんの学びをもらいました。
今は私が、その想いをつないでいく番なのかもしれません。
自分の人生を、誰のものでもない「私のもの」として大切にしていく。
その姿を、次の誰かが見てくれるかもしれないから。
今日、この手のひらからはじめよう
“明珠在掌”――
すでに自分の手のひらの中にある「宝」に気づくこと。
それは、今この瞬間からできることです。
縁ディングノートは、その気づきをそっと後押ししてくれる存在。
まるで春の陽ざしのように、やさしく、あたたかく。
人生の終わりを見つめるノートでありながら、
本当は「今をより良く生きるためのノート」なのかもしれません。
今日も、自分の気持ちに正直に、やさしく。
小さな明珠をひとつ、またひとつ、手のひらに集めるように。
そんな日々を重ねていけたら、と思います。