1 自己紹介
20年間勤めた中小企業を電撃脱サラし、行政書士をしています。松永宰(まつながつかさ)と申します。母は暁(あかつき)という名前にしたかったそうですが、字画を重んじる祖母の強い勧めに従い、今の名前になったと聞いています。自分自身の縁ディングノートを書こうとした時に、名前の由来も改めて思い出しました。
さて、行政書士になると、相続業務を主にされる先輩方と新人の多さに驚きます。しかし、私は当初、相続業務に携わる気はありませんでした。理由は単純で、相続に関係して、余り良い思い出がなかったからです。「他人様のご家族の話に、立ち入って行く勇気がない」というのが私の考えでした。
しかし、父の死を通じて縁ディングノートと出会い、その考え方はガラッと変わることになります。これからのことも含めて、少しだけお話できればうれしく思います。
2 父との思い出
「勉強なんかより、もっと大切なものがある。今じゃなきゃ出来ないことを、楽しんでやりなさい」昨年12月に亡くなった父が、私の子供時代に口癖のように言っていた言葉です。その言葉通り、小学生時代は、渓流釣りの解禁日には毎年必ず、学校を休んで一緒に釣りに行っていました。渓流釣りとキャンプに夢中だった父は、家のことを全くやらず母に怒られてばかりでしたが、私にとっては外遊びの師匠でした。
(当時は)無料でテントを張ることの出来る場所、テントの張り方、火の熾し方、ご飯の炊き方、川魚の釣り方、さばき方、えさの取り方、道具の手入れ…。自分で考えて、やってみて、工夫することの楽しさや大切さは、このころに学んだように思います。
けれども、思春期を迎え、一緒に遊ぶことが少なくなってからは、父との接点は段々と少なくなって行きました。何を考えて、何を大切にして、どんな仕事をしているのか。大学で教鞭をとっているのは知っていても、研究分野や授業の内容を、聞いたことも考えたこともありませんでした。幼少期に大切なことを教えてくれたのに、父が亡くなるまで、私は、父のことを知ろうとしていませんでした。
3 亡くなって初めて知ったこと
2022年4月に肺がんを患った父は、2年以上に渡る闘病の末、2024年12月に亡くなりました。母と一緒に葬儀の手配を進めて行く中で、一つの問題が発覚します。
私たち家族はクリスチャンですが、過去の経緯によって、特定の協会・教区に所属していない状態でした。これが意味することは、「教会での葬儀は行えない」ということです。また、通常の葬儀場で教会式を行おうにも、来て頂ける神父様も、必要な道具も手配できません。まさに、八方ふさがりでした。
そんな時に助け舟を出して下さったのは、父と関係のあった、同じ学園関係者の方でした。手を尽くして学園内と繋がりのある教会に掛け合って頂き、父が洗礼を受けた地で、無事に葬儀を執り行うことが出来たのです。葬儀の中での神父様の言葉が、印象に残っています。
『組織体の中での働きの実り、人と人とのコミュニケーションの成功は、単に言葉や技量の問題ではなく、その人の誠実な人柄、その人間性に大きな比重がかかっていると思いますが、お父様はその点において、モデルになる存在であったと思います』
私の知らない、父の人物像、考え、人との関わりがそこにはありました。
4 縁ディングノートとの出会い
ちょうどそんな折、きっといいタイミングだろうから、縁ディングノートプランナー講座を受けてみたら?と勧められました。正直なところ、遺言書との違いすらわかっていませんでしたが、実際に講座を受けてみて、中身を知って驚きました。
これこそが、私に必要だったものだと感じました。法的な拘束力をもった遺言書も、とても大切です。しかし、人が遺していくのはモノやお金だけではありません。形にならない想いや人間関係こそ、伝えられるべきではないでしょうか。
私は、父が亡くなってからその一部だけを知ることになってしまったけれど、本当は縁ディングノートを一緒に書きたかったです。書きながら父の人生であったり、出てきてしまった実家への想いであったり、家族や関わってきた人たちのことを知ることが出来たなら、もっと良い結末への準備が出来ていたのではないかと、思わずにはいられません。
そして、私のように後悔に近い想いをする方が少しでも減るように、仕事の一環として取り組んでいきたいと考えるようになりました。
5 これから私に出来ること
2026年はじめに、事務所を含めて実家の近くへ移転する予定です。冒頭に述べた、相続業務を主では行わない、という方針は基本的に変わりませんが、これからは地域の方々に向けて、縁ディングノートの書き方講座を開催していく予定です。
我が家のケースのように「大して遺すものはないから」と言って準備を避ける方は多いと思います。まずは少しずつでも、「遺せるのはモノだけじゃない」という考え方を伝えて行きたいと考えています。
稚拙な文にお付き合い頂き、ありがとうございました。