こんにちは。徳島で行政書士をしている仁木陽子です。
筆者は今、60歳を目前にして新たな一歩を踏み出しました。長年勤めた市役所を早期退職し、「終活・相続」を専門に、行政書士として活動を始めたのです。

 

夫の突然の死と「終活」への気づき

なぜこの道を選んだのか。その理由をお話しするには、5年前に起きたある出来事に触れなければなりません。

 

「終活」という言葉と筆者が出会ったきっかけは、最愛の夫との別れです。
25歳でお見合い結婚した夫は、寡黙ながらも穏やかで、筆者や3人の子どもたちをいつも温かく見守ってくれる存在でした。定年後は、夫婦でのんびりと旅行を楽しみながら老後を過ごす、そんな夢を描いていた矢先のことでした。

 

ある日、夫に38度の熱が出ました。それが数日続いたため、いくつかの病院を受診しましたが原因はわからず。それでもはじめは「そのうち下がるだろう」と楽観的に構えていました。しかし10日ほど過ぎても熱は下がらず、「今日は大きな病院に行ってみる」と言い残して出かけた夫はそのまま即日入院。そして、わずか1か月後、帰らぬ人となってしまったのです。診断は白血病。あまりにも突然の別れでした。

 

「人生100年時代」と言われる今、100歳まで生きる人がいる一方で、56歳で人生を終えることもある、それは決して特別なことではないと、私は身をもって知りました。
誰にでも「終わり」は訪れますが、それが“いつ”なのかは誰にもわかりません。だからこそ、自分の人生のゴールを自分で決めて、全力で走り切る、そしてその後の人生を“おまけ”として楽しむ——そんな生き方ができたら素敵だなと思ったのです。これこそが「終活」なのだと気づきました。

縁ディングノートとの出会い

終活や相続について学びを深めていく中で、「縁ディングノート」に出会いました。中でも特に心に残ったのが「延命措置に関する希望」を記入する欄です。
夫が意識を失ったとき、延命措置を行うかどうかの判断を迫られました。医師から「一番身近にいた奥様が決めてください」と言われたのです。悩み抜いた末に「延命しない」という決断をしました。でも、それが本当に夫の望みだったのか、今も心に引っかかっています。「長年一緒にいた」と言っても、夫のこと何も知らなかったのだと痛感しました。

 

葬儀の場面でも、「喪主は誰にする?」「祭壇は?」「戒名はどうする?」「弔電の順番は?」と次々に決断を迫られました。夫の望みはどうだろう? そう思いながらも答えは出ず、迷いの連続でした。夫婦であっても、知らないことはたくさんあります。もし夫が話してくれていたら、もし書き残してくれていたら、どれだけ救われただろうと何度も思いました。

 

 

後悔から生まれた終活支援の道

 

この体験が筆者の人生を変えました。同じように「正解のない選択」に悩み、後悔する人を少しでも減らしたい、その想いが筆者を終活支援の道へと導いてくれたのです。

 

「エンディングノートって何?」と思っていた筆者が、その大切さを伝えるセミナーを開催するようになりました。人生の終わりを考えることは、すなわち「今をどう生きるか」を見つめ直すこと。そして何より、それは遺される家族への思いやりでもあります。

 

人生の幕が下りるその日まで、自分らしく生ききるために、そして、大切な人たちに「ありがとう」を伝えるために。
縁ディングノートは、未来の自分と家族への贈り物です。これからもその想いを、より多くの人に届けていきたいと思っています。